あぁ、徒然なるままに

私の趣味や日々の出来事についてを、自分の独断と偏見による、やや倒錯した文章で徒然なるままに書き記すブログです。

原爆と、フォン・ノイマンと、コンピューター

どーも皆様、こん○○わ。
口からだけでなく、頭頂部の爆心地(つむじの薄くなっている部分)
からも放熱している、ちょちょ山でございます。
私はここを「グラウンド・ゼロ」と呼んでいます。
あぁ、ミノキシジル
 
最近、髪も伸びてきまして、頭がキノコちゃん状態。
髪型はキノコ雲、頭頂部は爆心地。
ん~、トリニティ。
 
と言うワケで(?)、表題に戻ります。
今回は、珍しく読み物です。
夏休みの宿題用にでも使って下さい。
 
・・・あ、小学生はここのブログを読まないか。
読ませたくない内容ばっかりだし。(自爆)
 
広島・長崎の原爆の日も過ぎ、あの悲惨な歴史からもう75年ですか・・・
さて、表題の三つがどう絡まるか。
順を追って、書いてみましょう。

時は、第二次世界大戦
日本は、戦争での唯一の被爆国ですが、
原子爆弾は皆さんご存じの通り、広島と長崎に
二つ落とされました。
歴史上で実戦投入された、唯二つの原子爆弾
リトルボーイ」と「ファットマン」。

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「10代がつくる平和新聞-ひろしま国」より引用
 
構造が異なる、この二つの原子爆弾
広島に落とされた「リトルボーイ」は、
ガンバレル(銃筒)型」の原子爆弾でした。
構造の詳細は上記リンクに譲りますが、
端的に言ってしまえば、以下のプロセスになります。
 
①筒状の爆弾筐体に、臨界寸前の核物質を二つ、離して設置。
②後部の核物質を爆薬で打ち出し、前部の核物質にぶつけて合体、臨界へ。
③臨界に達した核物質に、導火線となる中性子をぶつける。
核分裂の連鎖反応が起き、爆発。
 
ただ、この方式だと、中性子発生のタイミングや
臨界量を超えて核分裂の連鎖反応を起こす以前に
核物質同士がぶつかった衝撃で粉々になり、
単なる「ウラン爆弾」で終わってしまう可能性がありました。
 
実際に広島で起きた核分裂反応は、
理論値の10%程度でしかなかったとの説もありますが、
それでも一瞬の核分裂で放たれた光と熱は、
衝撃波と共に街も人も焼き尽くし、
全てを吹き飛ばしてしまいました。
 
通勤時間の人たちも、
電車に乗って吊革に掴まったまま一瞬にして消し炭となり、
電車は炎を上げながら、人型の消し炭を載せて
惰性で線路を走って行ったそうです。
 
これ以上の惨劇の詳細は、ここでは割愛しますが。
 

さて一方、長崎に落とされた、
もう一つの原子爆弾「ファットマン」。
 
同時進行で開発されていたこの爆弾は、
先の「リトルボーイ」の欠点を補うべく
「インプロージョン(爆縮)型」と呼ばれる原子爆弾でした。
 
リトルボーイ」では、核分裂連鎖を起こしやすい
ウラン235」を用いましたが、
自然界のウランから、核分裂に使用する
ウラン235」への濃縮精製は難しい上に
元々含有量が少ないために、大量生産には向きません。
 
一方「ファットマン」では、核物質に
プルトニウム」を用いました。
プルトニウムは、「ウラン235」より圧倒的に多い
ウラン238」に中性子を当てて人工的に作り出し、
少量しか濃縮精製出来ない「ウラン235」に比べて
増産が容易でした。
 
また現代では、原子力発電所が稼働している限り
生成され続ける「核廃棄物」でもあるので、
転用されたプルトニウムを用いて、
大戦後の冷戦時にはアメリカとソ連で、
核ミサイルがしこたま生産されてしまい、
その数なんと、約50回、全世界を滅亡させられるほど。
 
冷戦時に人類は、偽りの平和と共に、
一触即発の非常に危ない世界に暮らしていたんです。


話を戻しますが。
 
プルトニウムを更に効率良く核分裂連鎖反応を起こすため、
核物質の外側にいくつもの分散させた爆薬がセットされ、
中央に向かって爆発させ、圧縮させる方法「インプロージョン(爆縮)」。
 
そのために「ファットマン(デブ男)」と呼ばれるような、
丸く、ずんぐりむっくりした形の爆弾になってしまったのですが・・・
 
さて、この「爆縮型」の「ファットマン」。
マンハッタン計画」にて開発されたこの原子爆弾を設計したのは、
変態数学者、フォン・ノイマン
 
出ました、変態。(笑)
 
相対性理論から質量とエネルギーの法則を発見した、
アルバートアインシュタイン
 
その質量を、可能な限りエネルギーに換え、
一気に開放する「爆縮型」原子爆弾を設計した、
フォン・ノイマン
 
あのアインシュタインですらも
 
「彼は変態だ」「彼は天才だ」
 
と言わしめたフォン・ノイマンとは、
どんな変態だったのでしょうか?
 
彼の変態エピソードは諸々ありますが、その一つとして、
10桁の四則演算程度は、そらでやってのけたとも言われています。
 
そんな変態数学者でも、「爆縮型」の原子爆弾を設計する際は
えらく悩みました。
 
プルトニウムを一点に集中させるべく、
核物質の外側に爆薬を複数取り付けるワケですが、
この計算も試行錯誤し、合計32個の爆薬を使うことになりました。
 
トリニティ実験場での起爆実験では、やぐらの上に置いて
静止した状態で行なわれましたが、
実戦では爆撃機から投下されて、飛行速度に加え、
放物線を描いて落ちて行くワケですから、
爆弾の起爆時には当然、中心点がズレてしまいます。
更に、風の抵抗やその他、色々な要素も計算に入れ、
32個の爆薬の起爆タイミングを計算しなければ、
プルトニウムは一点に集中させられません。
 
変態数学者フォン・ノイマンと、
彼の率いる変態演算チームの頭脳を以てしても、
その計算には10ヶ月という、これまた変態的な時間を要しました。
 
「こんなん、その都度計算出来るかっ!」
「やってらんねぇぜ!」
「計算機を作ろう!」
 
そうこうしているうちに戦争は終わりましたが、
世の中は原子爆弾だけに留まらず、
更なる膨大な計算を自動化するための機械を必要として、
「コンピューター」の開発競争が始まりました。
 
世界で最初のコンピューター「ENIAC」。

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSlv68ENpIoDDsKD1OWAEZAZjH70C5lhxYBl4SZDi0q6K6PkSU&s

完成したのは、終戦後の1946年。
筐体も異常にバカでかく、大量の真空管を用いたシロモノで、
当時はまだ「プログラム」という概念は存在せず、
真空管の配列を変えることと、沢山のケーブルを繋ぎ変えることが
プログラムの代わりでした。
 
このENIACの基本構造は引き継がれること無く一代で終わりましたが、
その後、1949年に開発された「EDSAC」を皮切りに、
「プログラムを内蔵する」方式のコンピューターが次々と開発されました。

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRNyHITlBUcnYgwjp1ROSBZ6FWT1aRHrIkMqQ&usqp=CAU

プログラムを書き換えれば、機械側を変えることなく、
全く異なる計算を可能に出来たからです。
 
この「プログラム内蔵方式」に関する理論の考案と文書の作成者が
あの変態数学者フォン・ノイマンであり、
このことから、プログラム内蔵型コンピューターは
ノイマン型コンピューター」と呼ばれるようになりました。
 
コンピューターの黎明期に、EDSACやEDVAC等、
ノイマン型コンピューター」は数多作られましたが、
基礎理論と開発、完成時期と、軍事的な思惑や開発した大学の思惑、
開発者の特許権の争い等、所説入り乱れて、
ノイマン型の「本当の始まり」はここでは明言できません。
知りたい人はWikipedia等で調べて下さい。(←投げやり)
 
しかし、規模は違えど、パソコンやスマートフォンを始め、
現代のコンピューターの殆どは「ノイマン型」の基礎理論を引き継いで
開発されていることは事実です。
 
極論ですが、現代のコンピューターのほとんどは、
フォン・ノイマンという一人の変態数学者を中心に、
戦争から作られた原子爆弾開発の副産物なのです。
 
私は、原子力発電所を始め、
原子爆弾や核開発に対して否定派の人間ですが、
核開発の黒い歴史の延長線上に生きるものとして、
今、その恩恵を受けていることは否めません。
 
「技術の革新を後押しするのは、いつも戦争だ」
 
と聞いたことがあります。
 
まさにその通りですが、今以上の技術の進歩と発展が、
新たな戦争で後押しされないことを祈るばかりです。
 

次は、コンピューターの進化と宇宙開発について
書こうと思います。
 
謎が謎を呼んで、次回に続く!(のか?)
 
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