またまたしつこくやってまいりました。
札幌国際芸術祭、酷評タ~イム!
もう自分でも何回ネタにしたか判りません!(笑)
何というか、新聞を読む度に、書かずにいられません。
教授の離脱や、雨天によるイベント中止など、ハプニングに見舞われつつも
来場者数は好調との新聞記事でしたが・・・
一ヶ月で、来場者数は15万人とか。
・・・ホントかいな?
「観たくて来た」人ではなく、「何かやってるの?」と、たまさか立ち寄ったような
通りすがりの人まで全部ひっくるめての数字でしょう?
うち13万人は、ホントはタダの通行人なんじゃないですか?(笑)
有料の会場二つで、合わせても2万人行っていませんからね。
「別のイベントの人数まで加えるように言われている」とか、
某道民雑誌にもスッパ抜かれていた記事にも書かれていましたね。
開催前ですら、そんな事がすでに書かれていましたから、
恐らく新聞記事の内容は、市長の体裁を保つためだけの付加した数字でしょう。
記事に載っていた、盆踊りの4千人も加えての数字でしょうね。
そもそもですよ。
前衛過ぎて解らない芸術ばかりをしこたま召集して、
「楽しんでもらえる」と明後日の方向に間違った確信を持っている市長の旗振りで、
一体何が出来るもんですかって。
ハッキリ言います。
何が楽しいのだ!?
そもそも、何が楽しさの基準なのだ!?
私もモエレ沼公園の会場には、カミさんと行って来ましたよ。
で、見てみました、フォレストシンフォニーとか言う代物。
「・・・何これ?」
世界各国の樹に取り付けたセンサーで、生体電流を電気信号に変えて
それをインターネット経由でリアルタイムに「音」として再生する、と言う試みらしいですが・・・
沢山の心電図みたいなのが壁に表示され、凝った作りの全方位スピーカーからは
ノイズが流れ出ているだけ。
・・・結局、何をしたいのだ?(笑)
何故わざわざそんな迂遠なことをしたいのかが、全く解りません。
電気的なノイズと言う、敢えてそんな抽象的な領域にいきなりドボンと飛び込むならば、
風に揺れる木々の葉音の方が、余程解りやすくて心地良いですよ。
一方、ガラスのピラミッドのホールにも、センシングストリームとか言う、
街の中心部の地下歩行空間の電磁波ノイズを視覚的に表示する、
何やら大層な仕掛けが置いてありましたが。
・・・これも結局、何をしたいのだ?(爆)
音に合わせて画面の表示が変わったりするようなモンなら、
パソコンのメディアプレーヤーが、とうの昔にやっていますよ。
増してや音楽ではなく、何故ノイズを使うのか。
その音源のチョイスの仕方が、私には理解できません。
私以外にも、その機械をいじっていた人が言っていました。
「・・・何これ?」
理解不能なものばかり。
これらを市長は「アート」と連呼していました。
・・・ですから、何が「アート」ですって。
新聞記事には、
「実行委員会は近く、作品を挿絵入りで解説したチラシを展示会場で配布し、
現代アートの難解な印象を払拭したい考え。」
とも書かれていましたが。
・・・実行委員会、「難解」って自覚してたんじゃねーか。(苦笑)
そんなことで「楽しんでもらえる」と、よく断言できますな、市長!
そもそも、そんなチラシを今から配るくらいなら、最初から作って配れよ!
実行委員のピンバッチなんかを作るよりも、こっちの方が先だろ!
もう幾度となく書きましたが。
難解と自覚している前衛芸術をしこたま召集して。
税金使って、一体何をしているのだ!
今回の芸術祭は、「難しい」のではなく「解らない」。
芸術とは、観る側に何かしらの「共感」が生まれないことには、芸術足り得ません。
スタートの時点で、市長自身がこの間違いに気付いてないことこそが失敗です。
市長は、最終的に「成功した」とか、
某ドクター中松のようなことを言うと思いますが、
本当に観る人々に理解されたか、楽しめたかは全くの別問題です。
市長と実行委員会は、数字だけの目標を達成して実績とするつもりでしょうが、
市長の独りよがりの、観る側の共感を得られないこんな芸術祭なんて、
ハナッから意味はありません。
市長、もっと芸術の根本を考えなさい!
最後に一つ、たとえ話をしてみましょうか。
10人が来店して、9人が「美味い」と言って帰るラーメン屋と、
100人が来店して、99人が「不味い」と言って帰るラーメン屋。
どちらが成功しているお店だと思いますか?
・・・その答えを考えれば、今回の芸術祭が成功か失敗か、
自ずと見えてくると思うのですが。
皆さん、どう思われます?
---------------------------