今回は、転載写真にてお送り致します。(笑)
もうそろそろ札幌国際芸術祭も、新聞に載らなくなってきましたが、
私の中では、まだ僅かに燻ってます。
いーかげんしつこいですかそうですか。(笑)
ふみおちゃん(上田文雄札幌市長)がひたすら連呼していた「アート」と、
本来の「芸術」なるものが、近似値ではあるけれどもイコールではないような、
そんな違和感がまだ残っているのです。
ふみおちゃんが頻繁に言っていた「楽しんでほしい」と言う言葉の前に、
展示された「アート」作品達は、本当に「芸術」足り得るのか、と。
カヌーを引きずって川を遡上し、街中を闊歩することが。
海に打ち上げられたゴミを並べることが。
本と本を交換することが。
携帯電話と石を交換することが。
ビール片手に赤ら顔の酔っ払いが、他人の人生をテキトーに動画にすることが。
山奥の川原で見つけた巨岩を持ってくることが。
痛んだアスファルト路面の型を取ることが。
それがアートでしょうか。
芸術でしょうか。
作品でしょうか。
パフォーマンスなら解りますがね。
芸術は「鑑賞」という言葉があるように「鑑(かんが)み、賞(ほ)める」もので、
「楽しむ」ものとは違うように思えるのですが。
「楽しんでほしい」と言う、市長の言葉自体が「楽観的」な感じがします。
これまた前にも書きましたが。
千歩譲って、ふみおちゃんの言っている「楽しんでもらう」ことを前提とするならば、
いきなり理解不能な前衛芸術をしこたま持って来て一般市民を混乱に陥れる前に、
あらゆる芸術を「理解」までとは行かなくても、「受け入れられる」くらいにまで
観る側の素養も上げる必要があります。
しかし現実的には、いきなりそんなことは不可能です。
一パック98円の豚肉を買うのに躍起なおばちゃんにシャガールやモネの絵をあてがったり、
クレヨンを持ち始めた三歳児にいきなりダリやピカソを解せよと言ったって、
土台無理な話ですよね。
そうなると、見せる側ももっと解りやすくするしかありません。
突出しすぎた前衛芸術ではなく、もっとテーマを絞って、
「芸術」と言われるものの始まりから順を追って、
歴史を紐解いてみれば良いじゃないですか。
一度で一気に全部やろうとしないで、一回毎に少しずつ深くして行くんです。
絵画で言ってみれば。
ラスコーの動物壁画に始まり、絵を描く道具の発達、
これらをやるだけでも、「こんなに奥深かったのか」と思う一方で、
「こんなに身近でもあったのか」と思う事もあるでしょうよ。
ひとつ例を出してみましょうか。
当時は恐らく「前衛」と言われまくったであろうシュルレアリスム(超現実主義)。
「シュール」の語源ですね。
その典型と言われる「サルバードール・ダリ」を、ちょっと取り上げてみましょう。
彼の「超現実主義」的作品の中で、「記憶の固執」は有名だと思います。
他にも、こんな写真作品だとか。
そして本人は、こんな感じのギョロ目のヘンなオッサン。(笑)
この写真は有名ですね。
そう思うと、何だか親近感が沸いて来ませんか?
すっげぇイケメン紳士!
こう言うオチを出したかったのもありますが。(笑)
ね?
こうやって、観る人に興味を抱かせれば、もっと「芸術」と言われるものの
敷居も下がると思うのですが・・・
旭川で開催されていた「ダリ展」。
札幌でもやってくれれば、有料でも観に行きたいですよ私。
別に国際芸術祭に提案・後押しをするつもりはさらさらありませんし、
今後もうやってほしくはない、市のイベントの筆頭に上げたいのですが、
有無を言わさず、見たくも無い不可解な前衛芸術に多額の税金を投入して、
結果的に市民税を上げられて生活費を圧迫されてしまうのなら、
本当にお金を払ってでも観たい、本当の芸術作品を展示して欲しいと、
そう思うのです。
・・・何だかトゲのある書き方ですかそうですか。(笑)
世の中、芸術家達の物差しで動いているワケじゃあありません。
芸術と関わりの無い人達を上手く巻き込むには、
いきなり「前衛」レベルの作品を、ひたすら一方的に「見せ付ける」のではなく、
まず「興味を持たせる」ことから始めるのが、
遠回りには見えても、一番の近道だと思うのですが・・・
どんなモンでしょう?
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