先日、新聞のテレビ欄で書かれていました。
残念ながら番組は見られませんでしたが、
ってな内容だと思います。
ま、それはそうでしょう。
そうなるでしょう。うんうん。
だってですよ。
肩こりを感じながらも、終始うつむいて「板(スマートフォン)」をいじり、
歩く時も前を見ず、「板」から生えてるイヤフォンで周りの音を聞かず、
自ら「注意力」と言うものを完膚なきまでに捨て去ってまで、
「板」から供給されるコンテンツや娯楽を貪ることだけに没頭し、
考えることを止めてしまっているんですから。
その貪っているコンテンツだって、ニュース記事と、SNSとメール、動画と音楽、ゲーム。
どこをどう見ても、考えたり学んでいるようには見えません。
頭なんか使っていないでしょうよ。
LINEやツイッターなんてものが流行る背景を考えれば解りますが、
文章だってよく考えて書いてなんていないでしょうね。
大体が希薄なコミュニケーションのラリーで、反射で言葉を返しているだけです。
あたかもそれを証明するように、地下鉄でたまさか見えた前の人の「板」から見えた文字列が
「クソワロタ」
これですもの。(-_-)
・・・あのねぇ。
昨今のスマートフォンは、生半なパソコンよりもふんだんに最新技術が投入されているんですよ。
語彙も知性もへったくれもない、そんなくだらない文字列のやりとりをするために、
最新のITを使うんじゃないっ!(*`Д´)
そもそも、何だか勿体無いと思いませんか?
例えて言うならですよ。
純金で出来た便器のようなモンで。
国宝級の日本刀で、晩飯の刺身を切っているようなモンで。
1,275万円のアウディA8で、一杯780円のラーメンの出前をしているようなモンで。
・・・我ながら例えが極端ですかそうですか。
ま、高度や高級なもので、ひどく陳腐な事をしていると言いたいのですよ。
さて。
「スマホ痴呆症」だけでなく、もう一つ懸念していることがありまして。
インターネットは、情報の海。
知りたい情報の検索や調べものにITはうってつけですが、私が言いたいのは、
「ネットに『経験』は落ちていない」
と言うこと。
誰かの「経験」を「情報化」したものはあっても、
その情報を閲覧するだけでは、単なる「記憶」にしかならず、
実際に自分で実体験しない事には「経験」にはなりません。
私もよく仕事で、各種手続きの仕方やフォーマットなどの調べものをしますが、
その知り得た知識で、実際に書面を作成したり、手続きをしたりすることで、
ようやく自分の「経験」になります。
やってみないと身につかないんですよ。
もう一つ例えるなら。
以前、道東のトドワラにて、日没後のマジックアワーに
ものすごい夕焼けに遭遇したことがありました。
360度見渡す限り、空が紅蓮に包まれたのです。
あの時の感動たるや、筆舌に尽くし難いものでした。
いかに感動を経験したとしても、それを情報化しても「片鱗」でしかなく、
実際に同じ経験をした人にしか、あの感動は解りません。
このように、ITは万能ではありません。
しかしITは、今やなくてはならない時代。
かと言って、ITに翻弄されている人々が多いのも、また事実。
自分の身の安全を放り出してまで、娯楽を貪るその前に。
少し考えてみて下さい。
板(スマートフォン)やパソコンをはじめ、ITは「使う」ものです。
人間が「使われる」ものではありませんし、「依存」するものでもありません。
何事も、適度な距離感が大切なのではないかと思います。
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