あぁ、徒然なるままに

私の趣味や日々の出来事についてを、自分の独断と偏見による、やや倒錯した文章で徒然なるままに書き記すブログです。

闇夜に浮かぶ、不気味な顔

残念ながら、今回は怪談ではありません。
タイトルから想像した人は、残念でした♪(笑)


秋の日は、つるべ落とし。
最近、日が暮れるのが早くなって来ましたね。
帰宅する際に、日の落ちた街の中を歩くと、いつも思う事があります。


・・・何でこんな暗い夜道を、スマートフォンとか携帯電話を弄りながら、
前を見ないで歩けるの?と。
周りは真っ暗、本人はスマートフォンの画面で「光源」を見ている訳ですから、
眩惑されてしまって、街灯があっても夜道が見え辛く、非常に危険です。
歩く方向も定まらず、フラフラとぶつかって来た人もいました。

しかも画面のバックライトで、闇夜に顔が浮かび上がるという、
不気味なオマケ付き。(笑)
懐中電灯で、顔を下から照らしているようなモンです。
ドリフのコントじゃないんですから。
本人は恥ずかしくないんですかね?(苦笑)

更に、スマートフォンと耳がイヤホンで繋がっている人も数多く。
いわゆる「耳紐族」、将来の難聴予備軍です。

光源をにらみ続けて、周りが見えず。
更にイヤホンで、周りの音を掻き消して。
目を閉じ、耳を塞ぎ、自分の世界に没入しながら夜道を歩く。
危険以外の何物でもありません。

最近、そんな「注意力散漫」な人を狙う強盗やひったくり、痴漢や変質者、
果ては誘拐や殺人と言う事件までもが現実にあると言うのに、
危険を覚悟してでも、貪りたいコンテンツって一体何なんでしょう?


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地下鉄で時折見かけますが、必死になって板を突いている人の画面の内容がチラと見えても、
誰かのつぶやき等、今見なければならないような緊急性のある情報とは、とても思えません。

誰かの発した「情報にもならない情報」に踊らされ、ただひたすらに
「リアルタイム性」のみを追い求めているだけなのではないでしょうか。
人間が、「情報端末」の更に「端末」になり下がっているような気がしてなりません。

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そんな時代だからなのでしょうかね。
国際芸術祭でも、「携帯電話と石とを交換して街中を散歩する」なんて企画が出てきたのは。

普段、肌身離さず携帯電話やスマートフォンを持ち歩いて「依存」してしまっているからこそ、
運営側はああ言った企画を考えたのだと思いますが。
・・・どうもツッコミ所が満載で。(笑)


以前にもネタにしましたが、コンセプトは、

「携帯電話を石と交換することで非日常を感じ、昔の札幌を想像する」

・・・ですって。

わざわざ石と交換しなくても、家に置いて来れば良いだけの話ぢゃん。(笑)
私なんて、携帯電話を家に置き忘れて外出するなんて、しょっちゅうですよ。
常に端末を手に持ち、どっぷりネットに依存している人々には、非日常なんでしょうけどね。

しかし、わざわざ石と交換しないと、非日常を感じられないのでしょうか?
石を持たなくたって、想像くらい出来るでしょうに。
そもそも、預けた携帯電話やスマートフォンが、第三者に悪用されたらどうするんです?
何事も無かったようではありますがね。


私の考えは、芸術祭でのイベントとは似て非なるものですが。
しかし、何か世のイビツさを感じているのは共通していると思います。


寺山修司でもないですが。

「端末を捨てよ、町へ出よう」
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↑・・・運転士からの視点。

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