あぁ、徒然なるままに

私の趣味や日々の出来事についてを、自分の独断と偏見による、やや倒錯した文章で徒然なるままに書き記すブログです。

見えぬ「姿」

かれこれ、今から10年くらい前になるでしょうか。
これは実際に、私が「体感」した話です。


北海道の道東オホーツク圏、遠軽から紋別へ抜ける裏道に、
鴻ノ舞と言う所があります。
ここは昔、ゴールドラッシュ、いわゆる金山で栄えた町で、
昭和中期まで金が採掘されていました。
戦後の金価格の暴落と資源の枯渇で、昭和48年に閉山。
詳しくはネットで「鴻ノ舞」又は「鴻之舞」で調べて下さい。


以来、ここは完全に打ち捨てられた町となり、今は動物以外に住むものはいません。
道のあちこちに「○○町跡」という看板があり、その殆どが草叢と化しています。
時折見られるのは、四半世紀以上経ったコンクリートの基礎、廃墟、学校跡、
そして当時使われていた溶鉱炉の巨大煙突等々。
発電所の廃墟の中や巨大煙突の傍までは、実際に私も見に行った事がありますが、
どうしても行ってみるべきか迷っていた所がありました。


当時から、一番町外れにあったと思われる場所に立てられている看板。


「鴻ノ舞墓地」


あからさまに怪しい場所なので、一人ではどうしても行けませんでしたが、
当時の職場の新人とあちこち挨拶回りしていた時に、怖いもの見たさで
一度だけ行ってみました。
(今考えると無謀ですが)


道路本線から脇に入り、20m程行くと、もう本線は見えない急カーブ。
最近通った車はないであろうと思われる、草の背が高い轍。
30m程の所には比較的綺麗な、祠ともお堂とも判らない小さな物置サイズの
木造の建物。


更に行くと道が別れ、右手の道の先は墓地。
但しそちらには行かず、引かれる様に道を真っすぐ行くと、レンガで出来ている
赤い柱の様な物が見えて来ました。


「こっちにも、昔の建物の名残があるのか・・・」


赤い柱が見えた時点で空気の妙な違和感を感じましたが、その柱から数十m程
離れた場所に車を止め、その柱の全体像が見えた時には、尋常じゃない何かを
感じました。


「・・・何かマズイぞ・・・」


ふと気付くと、その赤い柱の傍には、こう書かれた看板が立てられていました。


「火葬場跡」


赤いレンガは柱ではなく、火葬場の煙突の跡だったのです!


一気に鳥肌が立ち、尋常じゃない寒気に襲われました。


煙突の向こう側から、誰かがこちら側を覗いている様な怪しい気配がし、
いや、気配どころではありません。
姿こそ見えないものの、明らかに「それら」はそこにいました。


直後に、夥しい数の殺気だけが徐々に向かって来るのです。
その「存在」が見えなくても、不思議と私の目が、殺気の「居場所」を追いかけます。


「うわ、来る来る来る来る!」


職場の新人に車を運転させていたので、


「ダメダメダメダメ、Uターン、Uターン!」


急いで車をUターンさせ、その場を離れました。
幸い、「乗られる」事は無かったようですが・・・


本来、こう言う感覚には全く疎い私ですが、この時は本能的な恐怖を覚えました。


正直な話、「墓地で写真でも撮ってみよう」などと考えていたのですが、
カメラを構えるどころか、逃げるだけで精一杯でした。
もし私があそこで写真を撮っていたら、絶対に人外の何かが写っていたでしょう。


考えてみれば、山の中にも関わらず、そこ一帯は鳥の声も聞こえませんでした。





先程ふと気づいたのですが、何故、道の分岐点にお堂があったのでしょう?
墓地の敷地にこそ入っていなので詳細は判らないものの、本来、家がある人なら
お墓が立てられている筈。


あのお堂はもしかして、「無縁仏」の為の「納骨堂」だったのでは!?


鴻ノ舞金山は、戦時中の徴兵で労働力不足となり、朝鮮人や中国人を連れて来て
労働力とした、所謂「タコ労働」の黒い歴史もあります。


私に向かって来た夥しい数の「殺気」が、地元の人ではなく「タコ労働者」の「怨念」なら
辻褄が合いますし。


鴻ノ舞だけでなく、この辺りの土地には、石北方面へ鉄道を通す為の労働力として
「タコ労働者」を使い捨てしたと言う、そんな黒歴史が少なからずありました。


鴻ノ舞から逃げて来たタコ労働者を、湧別川河川敷で捕らえてリンチして殺したとか、
留辺蕊方面では、常紋トンネルで人柱にされたタコ労働者の人骨が出たとか、
その土地毎の逸話は、調べれば沢山出てきます。



先程の火葬場の煙突跡ですが、ネットで調べたら、現地へ行って写真を撮って来た人がいました。
すごい!私はもう、あそこには行けません・・・