あぁ、徒然なるままに

私の趣味や日々の出来事についてを、自分の独断と偏見による、やや倒錯した文章で徒然なるままに書き記すブログです。

一緒につくろう芸術祭公募プロジェクト:テーマ「芸術祭ってなんだ?」

先日、某所で写真展を観ていると、出入口に一枚のパンフレットを見つけ、
書かれていた内容を一瞥して、私の心に火が付きました。(笑)

そのパンフレットの内容は、次回の「札幌国際芸術祭」の作品公募。

ここのブログを以前から見て頂いている方々には、もうお判りですね♪

さぁ、やってまいりました♪
ふっふっふ。
SIAF(札幌国際芸術祭)よ、これは私に対する挑戦だな!
かかってきなさい!


さて、のっけから噛みつきます。
次回の国際芸術祭のテーマ。
「芸術祭ってなんだ?」

アホかぁ!SIAF事務局!
前回開催しておきながら「なんだ?」って、
今更何を言っとるのだ!
てめぇら、今までワケも解らずにやっていたのか!?

よぉし!
その問いには、私が答えよう!

札幌国際芸術祭とは、上田文雄 前札幌市長が、
退職前の実績作りと自己満足の為だけに
市民に問う事を一切せずに見切り発車でスタートした計画で、
主催側も市民も頭の上にでっかい疑問符をいくつも付けながら、
「作品」とは名ばかりの、訳の分からない物体たちをただ陳列するのに
5億数千万円の巨費を投じて催された「愚祭」である!

・・・うん、間違ってないよね。(笑)

しっかしまぁ、「作品公募」って、いきなり市民に丸投げしてますよね。
前回は、芸術自体に造詣も前提知識も興味もない札幌市民に向けて、
いきなり明後日の方向に全力投球したがために、
出来たてのスケートリンクのごとく、大いにスベりまくりました。
上田前市長をはじめとした主催側は、辛うじて収支が黒字になったので
「失敗」とは認めたがらなかったようですが、その一方では、
「チケット購入を強要された」と言う、身内からの内部告発もありましたよね。

そして次回。
一度は芸術祭を開催しておきながら、SIAF自身ですら「芸術の定義」が曖昧なモンですから、
今度は、元々何も理解していない市民に「芸術とは何たるか」を問うて言わせてやらせてみて、

「アンタ達は『芸術』をこう思っているんだろう?だから我々はそれを『芸術』とするんだよ」

と、定義も問題も責任も、全て主催側が市民に押しつけて逃げているのがモロ解りです。


だからよSIAF事務局、丸投げする以前に、
おめぇらの言う「芸術」って何なのだ?
前回、会場でサッポロクラシックを飲みながら赤ら顔の酔っ払いが、
人の人生をテキトーに動画にしていたところが新聞に載ってたじゃねぇか。
そんなことが芸術か?
クソも味噌も一緒くたにするんじゃねぇよ。
芸術をナメてんのか!


芸術に関するものは、作品を供給する側もされる側も、明確な線引きは無いにせよ、
一定以上の素養が必要です。
それを、求められてすらいないのに「これが芸術だ」と押し付けるのは論外でしょう。
前回の国際芸術祭は正に、芸術(に見えそうな得体の知れない何か)の押し売りでした。
独りよがりで難解なものをいきなり札幌市民にぶつけてみて、一方で何をどうまかり間違ったのか、
どう見てもふざけていることを無料で供給し「芸術だ」とのたまったり、
物々交換を「芸術」だとのたまったり、
何も知らない人に好き勝手やらせて「それが芸術だ」といきなり定義したり。
主催側と市民との思惑のキャッチボールが何もできていません。

例えるなら、前回の国際芸術祭は、
受ける準備も心構えも出来ていない、後ろを向いた相手の後頭部に、
「芸術祭」と書かれたボールを力一杯投げつけたようなものです。


更に、地下鉄東西線大通駅~バスセンター駅間の500m美術館のどこかに書かれていましたが、

「アーティストがアートで食べて行ける街になるように」

・・・あのねぇ。
「芸術」の「需要」が無いのに、一方的に「供給」したってダメでしょう。
難解なものなら尚更ですよ。

これも以前の記事に書きましたが。
芸術性が高いものには、とかく難解なものも多いですが、
難解なもの全てが芸術性が高いわけではありません。

みんな生きるのに必死なこのご時勢、
作品と判りもしない難解な物体に誰が価値を見出しますか?
芸術と言う分野は、時間的にも、精神的にも、金銭的にも余裕があって且つ、
根本の「興味」が無ければ、誰も振り向きやしません。
芸術で腹は膨れませんがな。
ポプラの綿毛を拾い集めて、ただアクリルの箱に詰めただけで数千円と言う
ゴミ箱のような自称「芸術作品」なんてシロモノ(←本当にあった)よりも、
430円のザンギ定食の方が美味しいし、腹も満たされるってモンでして。
生きて行くのにはどちらが必要なのか、火を見るより明らかですよね。


それにこの「アートで食べて行ける街に」と言う言葉には、一つ問題を孕んでいます。

一般生産社会に馴染めず職にあぶれたり、または働きたくない人、楽をして食って行きたい人が
自称「芸術家」になって、自称「作品」を乱発する恐れがありませんか?

悪知恵の働く人は、過去の芸術祭の傾向から対策だけを考えて、

「何か理屈つけて何かテキトーに造れば、誰かが芸術作品として買ってくれるかも知れない」
「下手の鉄砲撃ちも数打てば当たるだろう」
「俺、『芸術家』として食っていけるんじゃねーか?」

なんて輩も、出て来ないとも限りません。
何かのコネクションさえあれば、自称「芸術家」たちも、
下手すりゃ本当の「芸術家」扱いをされるかも知れない訳ですよね。

勘違いも甚だしいです。
己が才能の無さを棚に上げ、芸術の何たるかを解せぬ人が、
同じように芸術の何たるかを解せぬ人々から金を得る、
いわゆる「ニート」を甘やかす社会が理想、と言う事にもなりかねません。

もちろん自称「芸術家」達の全てがそうだと言うつもりはさらさらありませんが、
変なことにならないためにも、
大まかでも、何をもって「芸術」と称するのかの定義はやはり必要でしょう。
また、そんな「なんちゃって芸術家」を牽制する意味合いも含めて、
「観る側の素養も上げる」必要があります。

芸術祭は本来、そこから始めてみるべきなんですよ。

本当は古典から学ぶのが一番なんでしょうが、
そう言ったことを観る側に欠片も提供せずに、
いきなり一足飛びに難解な現代芸術を提供して大失敗したのが、
前回の国際芸術祭です。



くどいようだが、SIAF事務局よ。
今更市民に問う前に、
おめぇらの言う「芸術」って一体何だったのだ?
自分達で解らなくなって市民に丸投げする前に、
ちゃんと向きあってみろよ。
問う前に考えろ。

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もう、「物申す!」のカテゴリーに収まりきりません。
「国際芸術祭」のカテゴリーを作りました。(苦笑)

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