最近、街中でも公共交通機関でも、どうも納得出来ない光景をよく目にします。
前々から書いているかも知れませんが、
「スマートフォンをいじり『ながら』歩く人」
「公共の場で、スマートフォンをいじり倒している姿」
昨今では当たり前のように目にする光景ですが、
これらの行為には、私はどうも違和感と苛立ちを感じずにはいられません。
スマートフォン自体は、別に何も悪いものではないのです。
ただ、始終うつむいて前を見ず、まっすぐ人に向かって突進する姿は、
異様としか思えません。
まっすぐ私にぶつかって来た人も、何人もいます。
歩く時くらい、前を見ましょうよ。
危なっかしくて仕方がありません。
自分の身の危険よりも、ネットのコンテンツのほうが重要なんでしょうか?
スマートフォンをいじりながら歩けば、
当然ながらスマートフォンの方が、自分の体より前になりますが、
その時点でもう、「自分の身の危険」よりも「スマートフォン」のほうが
優先順位が上になってますよね。
(文明堂カステラのメロディーで)
♪スマホが一番 自分は二番
優先順位は 機械以下~♪
人間も落ちぶれたモンです。
自らを、目の前も足元も見えない状況にして・・・
スマートフォンは、道端に犬のウ〇コがあることを教えてはくれませんよ?(笑)
活きの良い犬のウ〇コをぐっちゃり踏みつけてまで見たいネット記事って何ですか?
水溜まりにじゃっぽり足を突っ込んでまで読みたい誰かのコメントって何ですか?
目の前すら見えなくなるスマートフォンの小さな窓からは未来は見えないし、
人生のナビゲーションもしてはくれません。
モラルだけでなく、人間としてどうなのでしょうか。
こんな大馬鹿野郎、即刻、極刑に処せば良いんです。
4人も人を殺し、4つの家庭を不幸にした事実が既にあるのですから、
情状酌量の余地などありません。
私自身も、青信号の横断歩道を渡っている途中に、
スマートフォンいじりながら運転している馬鹿野郎の車に
轢き殺されそうになったことが2回あります。
人事じゃあないんですよ。
スマートフォンが引き起こす、
誰にでも降りかかる可能性のある危機なのです。
自分の目の前は、自分の目で見る。
当たり前のことじゃないですか。
そんな当たり前のことすら人間にさせなくしている「ながら」スマートフォンは、
見方を変えれば「悪」そのものです。
全てにおいて「ながら」は論外ですが、それだけでなく、
公共の場で始終うつむき、画面を凝視すると言うその行為そのものに、
何故ここまで苛立ちを感じるのかと日々考えておりまして、
その理由が解りました。
いるでしょうけれど。
それでも、スマートフォンで「学ぶ」行為をしている人はごく一部だけで、
スマートフォンをいじり倒している内容の殆どは、
ゲームやSNS、動画等の「娯楽」です。
平たく言えば、「スマートフォンをいじる姿」は
「遊んでいること」そのものなんですよ。
本を読んで勉強しながら歩く、
二宮尊徳(金治郎)と同じにならない理由はそこです。
スマートフォンは最早、TVと同じです。
TVでも、ドラマやバラエティ、映画等の娯楽番組を見る方が殆どでしょう。
日がな一日、TVでニュースやNHK教育「だけ」を見続ける人も、余りいないですよね。
もっと極端に例えれば、
周りを気にせずスマートフォンの画面を食い入るように見つめる姿は、
箸と茶碗を手に持ち、口をポカンと開けたまま、
TVに見とれてご飯を食べない子供と同じです。
「みっともない」以外の何物でもありません。
ただTVと違うのは、受動的ではなく、
自分から積極的に娯楽を摂取しようとしているところ。
だからこそ、余計に性質が悪いのです。
寸暇を惜しんで、ネットに繋がりたい。
寸暇を惜しんで、娯楽を堪能したい。
地下鉄が来るまで、または目的の駅に着くまでの僅かな待ち時間ですら。
「寸暇を惜しんで」と言うより、
「寸暇すらスマートフォンに奪われている」と言った方が
正解かも知れません。
ボーッと頭を休めたり、自分の好きなことを想像したり、考えたり。
人間なら、そんな行為も必要だと思いますが。
それすらもすることなく、
頭を使わずに反射だけで、ひたすら画面に夢中になっている姿に
私は非常に違和感を感じます。
人にぶつかる前に。
犬のウ〇コを踏む前に。
人を轢き殺す前に。
外出しているときくらい、自分の目で前を見て、人間らしく生きましょうよ。
娯楽はお家に着いてから。
(今回の写真は全て、3月7日の13:19~14:40の間に撮ったものです。)