その時、こんなこともありました。
色々症状があったので、それらを話そうとすれば、先生は私の言葉を遮り、
「いいから横になって。触診するから。」
しかし、診察の後には、
「何でその症状がある事を話さないの!」
・・・先にこっちの話を遮って聞こうとしなかったのはあなたでしょう、先生。
人の事が言えますか!
まぁ、そんなヤブ医の話はさておき。
その後、セカンドオピニオンで別の病院に赴き、
両方の病院に対して、共通に感じたことが一つ。
「患者の話を余り聞かない」先生なんです。
患者も多いし、限られた時間内で全ての患者を診るには、
じっくり診察していられないと言う状況も解りますが。
その分、「こなす」「処理する」だけに特化してしまって、
「心が無い」ように思えてなりません。
今までの経験から、そんな「心の無い」病院が沢山思い当たりますが、
これは病院だけに限りません。
一般の人々も同じです。
ちょっとここから話が変わりますが。
携帯電話やスマートフォン等、色々なコミュニケーションツールが登場して、
「コミュニケーション」を「情報」としてやり取りするには非常に便利な世の中になりましたが、
そのツールの利便性に翻弄されて、情報を「こなす」だけになってしまい、
「コミュニケーション」の本質である「心」が置き去りにされているように思えてならないのです。
実際にコミュニケーションツールを多用している方々も多いと思いますが、
メールやLINE、ツイッター等、わずかな文章のやり取りの中に「心」「ニュアンス」が見えず、
誤解を招いたりすることも多々あるでしょう。
「コミュニケーションのつまみ食い」と称した人もいますが、まさにそれが招いた例だと思います。
街を歩くと、そんな「希薄なコミュニケーション」に捕らわれている人々の多いことと言ったら・・・
何かおかしいと思いませんか?
通信デバイスの「小さな窓」からの「心のない」「希薄なコミュニケーション」に集中しないで、
少し立ち止まって、自分の目で「人」と「世界」を見る余裕があっても良いんじゃないでしょうか。
携帯電話やスマートフォンなんて、時々家に忘れて出歩くくらいが丁度良いのかも知れません。